となりのトトロ都市伝説

となりのトトロの都市伝説が生まれた背景に、となりのトトロがあまりにも有名な映画であるからです。その都市伝説はたくさん出ています。そのうちの一つとして、トトロは死神であり、メイやさつきは死んでいるなどの伝説・裏話としてネット・2チャンネルなどで実しやかに言われています。その理由として、となりのトトロの作品中の画像で、途中からメイトさつきの影がなくなっていることなどから、この伝説が作られたようです。実際にこの画像は事実として影は消えていますが、それは画像を作成する上での都合上カットしただけであり、作者が都市伝説のような意図での画像ではないのです。このことはスタジオジブリの広報が公式な見解として2007年5月1日にブログを通じて否定をしています。

となりのトトロの時代設定

となりのトトロの時代設定は、画像を見るとどこか懐かしい風景を思いを越させてくれます。昭和30年代ころを想定し、宮崎駿は「テレビのない時代」をイメージしていると言及しています。明確な時代を決めつけて作品作りをしたわけではないそうで、このことが普遍的なものとして人気を集めた要因の一つになっているようです。画像の中で、緑あふれる集落のイメージは、聖蹟桜ヶ丘と神田川、宮崎駿の住まいのある所沢また美術監督の地元である秋田などさまざまな地域の風景が一体となった場所が作品で表わされている。また、宮崎駿が狭山丘陵の保全運動に積極的に携わっていたために、舞台となっているのが所沢市と紹介されることが、現在では多くなっている。作品に出てくる固有名詞は、狭山丘陵の地名をもじったものが多いことからも舞台が所沢と紹介されるゆえんかもしれない。

となりのトトロの作画

となりのトトロの作画をする上で宮崎駿は、作画監督に佐藤好春、美術監督に男鹿和雄を起用しそのほかも若手、中堅の実力者を集め作画を行った。当初60分という中編の予定が、画像を作成する段階でその時間に収まりきらず90分の長編に変更になった経緯がある。現在では信じられないのですが、トトロの企画段階では、作風が地味であるということで、全国公開を単独で行うことができず2本立てであった。そのときの同時上映は、火垂るの墓でした。どちらの作品も無名の監督であり、地味な作品ということで興行的にはあまり力が入っておらず、中途半端な時期の公開ということで配給収益は6億に届きませんでした。現在の評価に至った経過は、TVでの放映などを通して徐々に評価され、結果としてスタジオジブリの代表作までになりました。トトロの画像のタッチが人気となり、現在はトトロの画像や壁紙などネットで人気となっています。

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